手塚一志氏の上達屋にかよっていたボクの手塚一志氏の本との出会い

ぼくが小4で、地元の少年野球チームに入りました。

仲の良い同級生が、わりと野球をやっていたのがきっかけ。

 

それまでグローブをはめたこともなかったのですが、昼休みに野球をやって、なんとなく始めました。

それからはまりにはまって、毎日のようにうちに集まって、庭で野球をやっていました。

友達が3〜4人集まって、ゴムボールで野球をやりました。

 

もう、メチャクチャ楽しかったです!

 

中学で野球に挫折

そんな楽しかった野球も、小6で野球肘(ネズミ)になり、中学3年間は暗黒の時代を過ごしました。

 

一応野球部に入ったものの、あまり投げないように野球しました。

 

キャッチボールも遠投はしない、8割程度の力で投げるだけ。

一応3番、ファーストだったのですが、ボールを投げるたびに、自分のボールにがっかりするわけです。

 

少年野球ではピッチャーをやらせてもらって、伸びのあるストレートを投げていたはずです。

 

なので、スピンがかかって手元で伸びるイメージがあるのですが、中学生になってなかなかそういうボールがなげられない。

 

大事な大事な成長期に、ボールを全力で投げなければ、成長しませんよね。

 

楽しかった野球も、ボールを投げるたびにつらい思いをする。

そんなつまらないスポーツになってしまいした。

高校ではテニス部に

中学で野球をやめ、高校ではテニス部に入りました。

そこそこ楽しんでいたテニス。

元々、研究熱心ではまるタイプだったので、スマッシュ(テニス雑誌)を買って、それを見ながら壁打ちしたり。。

本屋でバッティングの正体と出会う

そんなまあまあテニスにはまっていた高2の夏。

 

近所の本屋さんで立ち読みをしているときに、バッティングの正体との出会いがありました。

 

科学する野球を見たり、野球について深く解説している本を読むのは好きだったのですが、バッティングの正体には衝撃を受けました!

 

なんか、書いてあることがボクの疑問に思っていたことだったんですよね。

(載っているCGのバッティングフォームがメチャクチャかっこいいんです!)

バッティングの正体を読んで、高3にして草野球チームを作ることに!

いてもたってもいられなくって、うちで素振りして、野球部くずれを集めて、高3の受験期に草野球チームを作りました。

結局、受験勉強の開始が遅れ、浪人することに。

浪人した一年間では、予備校の6畳一間の寮にバットとグローブをもちこみました。

 

魔球の正体がでた年だったので、すぐに買って、浪人仲間とジャイロボールの練習をしていました。


魔球の正体

ジャイロボール

6週間で投げるジャイロボール(DVD付) (スポーツ新基本)

手塚一志さんの本がきっかけで浪人し(?)、手塚一志さんの本に支えられて浪人時代を過ごしました。

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慶応大学卒業後、リクルートに就職。20代にしてはそれなりの給与をもらっていたが、独立し28才で妻、子どもを抱えている状態で年収200万円に。 めんどくさがりの自分でもできるほったらかし節約術を編み出し、投資の勉強をし、資産を増やし、31才で6,000万円の庭付き一戸建てを買うことができました。友人たちが結婚しだし、僕の「ほったらかし節約術」を伝えていきたいと思いサイトを作りました。